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東京高等裁判所 昭和55年(ネ)1051号 判決

本籍 東京都千代田区 住所 東京都豊島区

控訴人 土肥原弘美

本籍及び住所 右に同じ

控訴人 土肥原啓美

被控訴人 東京高等検察庁検事長

住所 東京都板橋区

被控訴人補助参加人 粂原華美

住所 京都市左京区

被控訴人補助参加人 沢田祥美

住所 東京都板橋区

被控訴人補助参加人 池谷悦美

主文

原判決を取消す。

控訴人らがいずれも亡李珍(国籍・中国、西暦一九〇〇年六月二九日生)の子であることを認知する。

第一、二審の訴訟費用中参加によつて生じた部分は補助参加人らの負担とし、その余の部分は国庫の負担とする。

事実

一  控訴人らは「原判決を取消す。控訴人らがいずれも亡李珍の子であることを認知する。訴訟費用は第一、二審とも国庫及び被控訴人補助参加人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人補助参加人らは「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠の関係は、控訴人らにおいて、当審における鑑定人○○○○の鑑定の結果を援用したほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。但し、原判決二丁裏八行目の「西雅旦」を「李西旦雅」と、同五丁表末行の「要要」を「要件」と、同裏七行目の「即に」を「既に」とそれぞれ訂正する。

理由

一  まず、本件の準拠法について判断する。

1  その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一号証並びに原審における証人土肥原良子の証言(以下「土肥原証言」という。)によれば、日本国民である土肥原良子は昭和二三年七月二六日控訴人土肥原弘美及び昭和二六年八月一五日控訴人土肥原啓美を出産した事実並びに控訴人らはいずれも土肥原良子の戸籍に非嫡出子として父欄の記載のないまま入籍された事実が認められる。そこで、控訴人らはいずれも、国籍法二条三号に従い、その出生と同時に日本国籍を取得しているものである。

2  その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第二号証の四によれば、控訴人らが父であると主張する亡李珍は国籍を中国として外国人登録法の規定に基づく登録をしていた事実が認められる。従つて、亡李珍の国籍は中華人民共和国であると推定され、右推定を動かすに足りる的確な証拠はない。

3  認知の要件の準拠法は、法例一八条一項の規定するところであり、以上認定した事実を前提とすると、本件において認知の要件は父に関しては亡李珍の本国法、即ち中華人民共和国法により、子に関しては控訴人らの本国法、即ち日本法により定められるものである。そして、本件認知の訴がわが民法に照らし、適法であることは、いうまでもないが、認知の要件のうち父に関しては中華人民共和国法によるべきところ、当裁判所には中華人民共和国法に認知制度(特に強制認知及び死後認知の制度)が存することは未だ明らかではない。しかし、非嫡出子が自らの父を明らかにし自己の戸籍に父の記載を得て父子関係を明らかにすることは、その子にとつて重大な利益を有することであり、そのための方法として本件認知の訴を認めることは、条理にかなう措置と考えられ、中華人民共和国法においても否定されないものと解すべきである。

二  次に、亡李珍と控訴人らとの間の父子関係の存否について検討する。

1  原審における証人李向仁の証言及び土肥原証言によれば、土肥原良子は昭和二二年一月から李珍と肉体関係を持つようになり、やがて、李珍が当時住んでいた東京都杉並区○○×丁目の住宅で同居し、その頃控訴人土肥原弘美を懐妊したこと、次いで、土肥原良子は李珍が買い与えた豊島区○○×丁目×番地の住宅に移つて、李珍が週に三日位は同居して生活するようになり、そこで控訴人土肥原弘美が生まれ、更に、控訴人土肥原啓美を懐妊したこと及び土肥原良子は昭和二六年四月豊島区○○○×丁目××番×号(控訴人らの住所地)の住宅に転居し、そこで控訴人土肥原啓美が生まれたことが認められる。

2  前顕甲第一号証及び土肥原証言によれば、李珍は控訴人らの出生に際しては、いずれのときも、自ら同居人として出生届を豊島区長に対してしたことが認められ、また、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一号証及び同第三号証の一、二、原審における証人李向仁の証言、土肥原証言並びに弁論の全趣旨によれば、李珍には「英美」、「悦美」、「華美」及び「祥美」との各名前の娘がある事実が認められ、右事実と前記李珍が出生届をした事実とを考え合わせれば、控訴人らの「弘美」及び「啓美」との各名前は李珍の命名によるものと推認することができる。

3  いずれも土肥原証言により真正に成立したと認められる甲第四号証の一ないし五及び同第五号証の一、二、いずれも土肥原証言により昭和二〇年代末頃に撮影され李珍、土肥原良子及び控訴人らが写つている写真であると認められる甲第六号証の一ないし三、原審における証人李向仁及び同新川千代子の各証言並びに土肥原証言によれば、李珍は他にも女性関係があつたため前記豊島区○○○×丁目の住宅に土肥原良子を訪れることは次第に少なくなつたものの、控訴人らの生活費学資を負担して養育し、昭和三七年頃までは控訴人らに李姓を名乗らせ、また、李珍の実弟の李向仁に控訴人らを自分の娘として引き合わせるなど対外的にも控訴人らの父として振舞い、控訴人らと李珍との関係は、李珍が昭和五三年五月三一日急死するまで、通常の父子関係と何ら異なるところはなかつたことが認められる。

4  土肥原証言によれば、土肥原良子は、李珍が控訴人らの父であると確信しており、控訴人らを李珍の戸籍に入籍したとの李珍の言を信じ、かつ、李珍と控訴人らとの間の父子関係は明白なので改めて認知の手続をとる必要はないと誤解していたため、昭和三四年頃戸籍謄本をとつて、控訴人らが土肥原良子の戸籍に非嫡出子として入籍されていることを知つた後も、李珍に対しあらためて控訴人らを認知するよう求めたことはなかつたことが認められる。

5  当審における鑑定人○○○○の鑑定の結果によると、血液型、耳垢型、PTC味覚型、指紋、掌紋等の検査の結果からみて李珍と控訴人らとの間にはいずれも父子関係が存在する可能性があると推定される。

6  以上を総合して判断すれば、控訴人らの父は、いずれも李珍であると認めるべく、他にこれを左右するに足りる的確な証拠はない(なお、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第二号証の一及び三並びにいずれもその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第二号証の二及び六と前示新川千代子の証言によれば、李珍は昭和五三年二月九日、かねて関係のあつた新川千代子との間の子である新川富文(昭和四二年二月一日生)及び新川善文(昭和四三年一一月一六日生)については認知届をしたことが認められるが、右事実だけでは到底右の認定判断を左右するに足りるものではない。)。

三  してみると、控訴人らの本訴請求はいずれも理由があるから、これを認容すべきものである。右と趣旨を異にし、控訴人らの請求を棄却した原判決は不当であつて取消を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九四条、八九条、九三条、人事訴訟手続法一七条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川上泉 裁判官 奥村長生 大島崇志)

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